小説 『死と砂時計』 紹介・感想
今回は、鳥飼否宇先生の『死と砂時計』を読んだので感想を述べようと思う。
あらすじ・紹介
『死と砂時計』は短編集の形式をとっており、それぞれの章が非常にうまくまとまっている。また、各章には話のつながりがあり、最終的に最終章へと収束する構成になっている。ミステリーに慣れている読者にとっては驚くようなトリックは多くないものの、ミステリーとして十分に楽しめる内容である。本腰を入れて謎解きに挑む作品というよりは、キャラクター描写や世界観を楽しむタイプの作品だと感じるが、最終章に向かって様々な事実が明らかになっていく構成は、読んでいて非常に面白い。
本作の舞台は、世界中の死刑囚が集められた「ジャリーミスタン終末監獄」である。主人公のアラン・イシダも例外ではなく、死刑囚としてこの監獄に送られてくる。アランは、そこで出会うシュルツ老人とともに、監獄内で起こる様々な事件を解決していく。シュルツ老人とアラン・イシダは、ミステリー作品における探偵と助手の関係にある。
感想
まず、死刑囚を集めた監獄が舞台という設定は非常に巧妙だと感じた。外部から人が入ってこないという点では、大規模なクローズドサークルのようなものだし、牢屋や監視の目があることで密室や準密室が作りやすい。この状況で殺人などの事件が起こると、犯人はすぐに死刑の執行が決まる(確定囚になる)ため、事件の解決は必須だが、警察がやってきて捜査を行うという展開にはならない。というのも、容疑者となる囚人たちはすでに死刑が言い渡されているからである。
この作品では、時間と死の象徴として砂時計が登場する。「時間は実際には存在せず、人間が物質の変化を時間として認識しているだけだ」という物理学の主張を聞いたことがあるが、アランの独房の描写はまさにこの主張を思い起こさせる。閉ざされた独房では、砂時計の動きが時間の流れそのものを表している。砂が落ちる、つまり時間が進むということは、死が近づくということだ。では、砂時計を止めれば時間も止まり、死は訪れないのだろうか。しかし、残念ながらそうはいかない。砂時計をどう操作しようとも、時間を支配することはできず、死は確実に近づいてくる。死を目前にして、人間の無力さやちっぽけさを痛感させられる場面である。
最後に暗澹とした気持ちになるミステリー作品は、個人的に大好物である。物語を通じて、シュルツ老人にはどこか親しみやすさや信頼感を抱かせる内容だったからこそ、エピローグの展開がより一層際立っている。シュルツが愛していた"子"は、アラン・イシダではなく、自身の名を冠したTSウイルスたちだったのだ。アラン本人が、父の本心を知らぬまま別れることができたのは、ある意味では幸せだったのかもしれない。しかし、将来アランにTSウイルスの症状が現れたとき、彼は何を思うだろうか。アランが飛び出した砂漠の世界には、本当に未来が広がっていたのだろうか。
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