小説 『悪の教典』 感想・解説
貴志祐介先生の『悪の教典』を読んだので、 その感想をここに記す。 悪の教典は上下巻あるが、 両方通しての感想を書くことにする。 感想の章からはネタバレを含むので、 まだ読んでいない方は読んだ後にまた訪れて読んでもらえたらと思う。
まず、 この悪の経典だが、2012年に映画化されている。 僕は小説を読むよりも先に映画版を見ていて、 数年経ったのちに小説版を手に取ったという経緯がある。 映画版を見てからしばらく経ってしまって当時どんな感想を持ったかはあまり思い出せない上に、 今見るともしかしたら違う感想を抱くかもしれないので、 映画版の感想はここには記せない。
あらすじ
蓮実聖司は、 晨光学院町田高校の二年四組の担任を務めている。 二年四組は不自然なほど学年の問題児が集まったクラスであった。 蓮実はこのクラス、 ひいては学校全体の様々な問題を解決しなければならなくなる。 蓮実は、 生徒や他の教員からの信頼も厚く、 情熱を持って教育に取り組む姿は、 傍から見るとまさに理想的な高校教師そのものであった。 しかし、 彼は外見とは裏腹に冷酷な内面を持っていた。 本書では、 蓮実聖司がどのような人間なのか、 高校教師としての生活を通して浮き彫りになっていく。
感想 (ネタバレあり)
冒頭、 蓮実の見た夢の話から物語は始まる。 両隣に同じ高校に務める女教師を携えて、 高校生が演じる舞台を見ている。 そして、 気に入らない生徒に射的用のライフルを撃つ。 射的の腕を褒められると思って両隣の女性を見やる。 そんな夢であった。 この冒頭の夢には蓮実の人間性が集約されているといえる。 ひどく利己的で、 それによって他人が被る不利益には全く頓着がない。 普通の人間の場合、 倫理観や道徳観によってブレーキがかかるところで蓮実はそのブレーキが働かない(もしくはブレーキがそもそも存在しない)のだ。
上巻では主に、 教師としての学校生活を通して蓮実の人物像が描かれていく。 印象的な場面は幾つかあるが、 個人的には清田梨奈の父親への対応をする場面がとくに印象に残っている。 清田梨奈の父親はクレーマー気質で、 学校へ何度も直に出向いては蓮実に文句をつけていた。 そこで、 蓮実は何か対策を施さねばと考えるわけだが、 そこで施された対策とは、 家に放火をすることで清田梨奈の父親を殺害してしまうというものであった。 殺人という、 普通の人間が検討しないであろう選択肢を平然と取ってやってのけてしまう姿には、 蓮実聖司という人間の恐さが強く感じられる。
清田家への放火の件において、 結果として、 教え子が放火に巻き込まれて死ぬ可能性と、 教え子の父親がクレームをつけにくることを天秤に掛けて放火を選んだことになる。 しかし、 清田梨奈自身が火事に巻き込まれていないことを知ると、 そのことを嬉しく思い、 嬉しく思う自分に驚きを感じている。 自分の論理的な思考と、 感情があまりに切り離されているのだ。 少年期の熊谷教諭とのエピソード部分では、 論理と感情は共に合理的機能だと言及されている。 そして、「極めて高い論理的能力を持ち合わせていれば、 感情を模倣できる」として、 蓮実少年は周りが期待する感情を表面上引き出す能力を身につけていく。 清田梨奈が無事で嬉しいと感じていることからもわかるように、 蓮実には感情が存在しないということではないのだろう。 ただ、 感情を論理で支配することに慣れきってしまっているのだ。
下巻では、 まず、 蓮実が校内に仕掛けていた盗聴器に気がついた早水圭介を始末することになる。 しかし、 その後、 早水の携帯電話を蓮実が所持していることを安原美彌を殺害しないといけなくなり、 また、 なし崩し的に学級内の生徒全員を一夜で殺害することになっていく。 個人的には、 上巻で展開された話の展開の小気味良さと比べると、 学内で大量殺人をしていく場面はそれほどワクワク感を感じられるものではなかった(それほど前半部分の話の展開を楽しめたということでもある)。
最終的に、 蓮実はクラスの生徒全員の殺害を試みたものの、 片桐怜花と夏越雄一郎にはうまく出し抜かれて2人は殺害しそこねることになる。 蓮実は2人に「Magunificent!」と賛辞を送るが、 これは蓮実の性格的に本当に心から2人を称賛していたともとれるし、 警察を前にしているので、 生きていてよかったというポーズをとっただけかもしれない。
しかし、 結果的には、 AED の録音記録から蓮実の犯行だということは明らかになってしまう。 ミステリでよく描かれる犯人はここで取り乱したり、 自白を始めたりといった行動をとるものだが、 蓮実聖司は違った。 自らの行動を、 神の意思によるものだったと主張しだすのだ。 これは、 蓮実に責任能力が無かったことを法廷で認めさせるためのパフォーマンスに他ならない。 この行動からは、 蓮実の賢さや怖さを改めて強く感じさせられる。
小説の最後では、 怜花が出所した蓮実に殺されるのではと恐怖する姿が書かれている。 しかし、 個人的には、 蓮実は自由になっても怜花の命を奪いに来ることはないのではないかと思う。 蓮実の行動原理は、 あくまで自分に利益があるか、 それとも不利益があるかといった論理的な思考のみに基づいているからだ。 怜花たちが生きていることによって、 出所後の蓮実が直接不利益を被ることはない(怜花は蓮実に不利益を与えるような行動をわざわざとらない)のではないかと思う。 また、 同じ理由で、 復讐心なんてものも蓮実には生まれないのだろうと思う。
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